2011年3月12日土曜日

ある帰宅困難者の記録 (東北地方太平洋沖地震/東北関東大震災)

前回の続き。

 幕張の会社にて被災し、社屋が大きな被害を受けたので、屋外退去&帰宅を指示されました。
 ところが海浜幕張駅は半壊状態。
 そこで、液状化による泥濘の中を幕張本郷駅まで歩いたものの、JRから「今日中の復旧目処は立たない、近くの小学校まで誘導する」とのアナウンス。
 こうなると、飲料水の備蓄程度は期待できる会社に戻る方が得策かと、来た道を戻りました。

 会社1Fの食堂はほぼ無傷だったため、帰宅困難社員はそこに集められ、飲料水と非常食の配給を受けました。
 ただ、水はたっぷりあったものの食べ物は極めて少なく、全員には行き渡りませんでした。
 近所のコンビニや大型スーパーの食料品も、既にすっからかん。
 出遅れた私は食料を全く手に出来ませんでしたが、飲料水には不自由しない状況だったので、死にゃしないだろう、くらいに構えていました。

 また、幸いなことに電気も生きており、皆で交代で充電して、携帯やPCが使えました。
 ネットやワンセグにより、最新情報も入手できました。

 雨風をしのげる場所と水と情報と確保し、落ち着いた私は、近くを少し歩いて回りました。
 海浜幕張駅周辺の店舗は全て臨時休業です。
 そりゃそうでしょう。地面すらこの有様では。
 本来は手前のブロックがずっと続いているのですが、吹き出した泥にほとんど覆われています。


 さて、次は帰宅の算段です。
 自宅は新宿から西方に電車で30分ほどの場所にあります。
 この時点で、都内では地下鉄から順次復旧が始まっていました。
 しかし、肝心のJRは早々に本日中の復旧を断念しちゃっています。
 はて、どうしたものか。
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1. 歩いて帰宅
 幕張から自宅まで直線で50kmほど。
 素人が歩いて帰れる距離とは思えません。

2. 電車が復旧するまで待って帰宅
 最も安全で確実な方法と思われます。
 しかし、いつ電車が復旧するかはわからず、手持ち食料が不安です。

3. 知人の車に同乗
 幕張勤務の同期が自動車通勤で、新宿までなら乗せてもらえることになりました。
 ただ、どう考えても道路はかなり渋滞しており、所要時間が全く読めません。
 下手したら電車の復旧を待つ方が早かった、ということも。
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 時刻は21:00。既に都内では一部の地下鉄が走り始めています。
 終電までに都内へたどり着ければ、自宅徒歩圏内くらいまでは電車移動できるかもしれません。
 一か八か、3.の車移動に賭けることにしました。

 都市部に入るまでの10kmほど、道は停電で真っ暗で、沿線に営業中の店舗もなく、しかも道路は泥濘でした。
 徒歩移動を強行していたら、途中で力尽きていたかもしれません。

 道路は案の定の凄い渋滞で、5時間以上かかってまだ銀座です。
 車内ではずっとTVのニュースを見て、地下鉄・私鉄はほぼ復旧し、終夜運転すると情報をつかんでいました。
 このため、私はここで途中下車し、本数の少ない電車を乗り継いでようやく帰宅できました。
 時刻は午前4時。

 以上、なんとか職場から自宅まで帰宅できました。
 不幸中の幸いというか、状況的には比較的恵まれていたと思います。
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・移動手段 (車) が確保できた
・ほぼ常時、PC、携帯、TVによる情報収集ができた
・電車が当日中に復旧し、終夜運転が実施された
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 今回、特に重要と感じたのは、情報収集手段の確保です。
 もちろん水や食料の確保の方が優先順位が高いですが、正確でタイムリーな情報を把握することにより、安全を確保しつつ速やかに帰宅できる手段を、柔軟に検討することができました。

 とはいえ、携帯やPCはバッテリーが切れればおしまいです。
 大規模災害時は、極力集団で行動し、誰か1人の携帯やPCを交代で使用する等して、継続的に長時間の情報収集を可能とすべきでしょう。

 最後になりましたが、遠回りして私を送ってくれた同期の友人と、深夜まで電車を運行して下さった公共交通機関関係者各位に、心より感謝いたします。
 ありがとうございました。

 さて、帰宅後、自宅の状況は…。

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